世界選手権INロシア
(ダンスファン掲載の記事はこの遠征記を元に編集された物であり、この遠征記がオリジナルであることをここに明記いたします。)
第1章
日本からの手紙
第2章
3日間の精神修行
第3章
待遇
第4章
栄光の世界選手権出場
第5章
世界選手権観戦
第6章
幻のレセプション
第7章
いざ、観光へ
第8章
編集後記
第1章
日本からの手紙
9月初旬−我々は日本でマンネリ化しつつあるダンスの練習状況を打破する為、なけなしのお金と有給をはたいてデンマークAARHUSのトレーニングキャンプに参加していた。気候はジャケットがないと寒くて、夜になると吐く息も白く、日本の残暑が嘘のようだ。その知らせはそんな4日目の朝のレクチャーの最中に届いた。日本アマチュアダンス連盟(以下JDSF)からのFAXで、「世界選手権に出場の権利が廻ってきた…ロシア開催なのでビザが必要…航空券が日本の連休に重なっているため予約が困難…世界選手権に出場する意思を連絡されたし(一部省略)」という内容だった。その時のレクチャーは上の空で(パートナー談(おいおい))こんなチャンスは二度と訪れないだろうから行くべきだとほぼ即決で「世界選手権に出場します。」
という旨を国際電話にて伝えた。(その後FAXが2度ほど届くが、時差の関係上朝の4時頃だったのを記憶している。
Special Thanks to JDSF国際部担当者:
Smily Wachi!
かくして、日本にいる国際部担当者に
ほぼ任せっきりで(^^;)、(その頃日本では大変なことになっていたのも露知らず…)
その後のカリキュラムと試合に集中し何とか夜の部に進出(BEST24)、ハンガリーの友人やデンマークでお世話になったコーチャー達に別れを告げ日本に帰国した。そう、4日後には訪れるであろうサンクトペテルブルク上空を通過して…。
第2章
3日間の精神修行
帰国してからも大忙しだった。まずメールを見て驚いた。1stカップルの怪我による辞退→3rdカップルも都合がつかず辞退→高橋(4th)は
海外だから飛ばそう!(滝汗)
とういことで5thの選手が暫定的に派遣対象になったが、多くの常識のある現役の選手の尽力によって海外にいた我々にFAXが来たと言うことを理解した(メール様々そして何より現役選手の粋な計らいに感謝である(滝涙))。さて、残り3日でロシアに旅立たねばならないことになり、あわただしい毎日だった。帰国後、ビザ代だけで10万(痛っ)、しかも、発行が出発日に間に合わず出場出来ない場合はAIRのキャンセル料含め払い損(@@;)になってしまう…。しかし行けるとなると5thの選手のビザ代及びAIR代が払い損になる…。(この時点では必ずどちらかのカップルに不幸が訪れるのだが、1stカップルの世界選手権辞退という前代未聞の状況ゆえに、JDSFは選手には派遣のアサインをするものの、そのリスクは選手自身に掛けてしまうというジレンマに陥ってしまってしまっていたのである。今後要改善である!)
我々は幸運なことに出発日の昼になんとかビザをゲット。(ごめん5th(;´〜`)>…ここで、フォローをすると、AIR代はゴネ押しで無かった物にし、ビザ代は後日会議が開かれ、5th選手への補填が決まった。しかし、ビザを急いだ為に我々が支払った差額は2度と補填されることは無かった。(泣))我々は滑り込みセーフで21:50のシャルルドゴール経由のエールフランスで、サンクトペテルブルグ空港に無事到着することができた。(ここまででも生きた心地がしなかった事はお分かりであろう…がここまではほんの序章に過ぎなかった…)
第3章
待遇
ロシアでのパスポートコントロールで1時間ぐらい待たされ「ロシアだからしょうがないか」と軽く思っていた。その後送迎バスに乗り、ホテルに到着。ホテルのフロントの周りには有名選手たちがおり、デンマークのキャンプで一緒だった選手たちと、しばし浮かれ気分で再会の挨拶なんぞしていたのだが、なんだか様子がおかしい。苛立った空気が立ち込めている。いざ、チェックインしようとしたら、ハンガリーの世界第4位の選手マウリッツオがノートPCのエンターキーをスパンスパン\(――#)叩いていたり、レセプションにまるで購買部になだれ込む学生のようにみな我先にとチェックインをしようとしている。我々もその波に乗りお姉さんに「We
are Akihiro Takahashi & Yoshiko Kido from Japan . Check in please」と告げると、パソコンをカチカチやって10秒後…「No Reservetion」という答えが返ってきた。(オイオイ。ノジュクカ?(滝汗))予約されていないらしい。待てよ…モスクワに本部があるロシアの組織(以下DSFR)から連絡がうまくいってなくて、予約者名が1stカップルや5thカップルになっているのかも…と思い再度チャレンジ!しかし同じ答えと、何やら違うホテルに行けと言っているらしい。そのメモを持ってDSFRの役員らしき人に尋ねると悪びれる様子もなく(お国柄そう見えるだけかな?)、また、何の説明もなく(役員らしき人もモスクワからの連絡が疎かだったらしく、今にも逆切れのコサックダンスをしそうであった。(笑))今バスをチャーターしてるからちょっとおまえ、
フルシチョフっ!(`A´)d…
みたいなことを言っていた。と思う…。ナマッテルーヨ
勉強不足だろう!(ToT)\
ほかの選手たちも予約されていなかったらしく(遅れて到着した2ndカップル(以下菅野組:IBM)やチェコ(父親と一緒にきているのだが、このお父さんかなりスーパーマリオにそっくり(うぷぷ)や台北の選手達も)ロビーは混沌としていた。2時間後、やっと別のホテルへバスで移動した。別のホテルにすぐにチェックインできるかと思ったが、DSFRの人がまとめてやると言う事でしばらくホールで待ち、やっと来たと思ったら、仕事ができな…とても丁寧な人(^^;)
でした。(恐らくその担当者である老婦人も突然言われたのであろう、手書きのメモを一生懸命見ながら一つ一つ手作業だったにもかかわらず、かなり選手は苛立ち、英語も通じないのでものすごいプレッシャーを与えていたと思う。そのオーラにさらに混乱し、3日目(2日間は主催者から出る)のホテル代の請求で自分と菅野組カップルに違う金額を提示するなどのイージーミス連発!
逝ってしまいそうであった。(合唱…いや、合掌)
サンクトペテルブルグに着いてから、ホテルにチェックインするまでに7時間かかった。(現地時間夜10時)当然レストランもすべてしまっており、BARにてあるものを食べようと言う事になった。薄暗い中で、バンドが何やらダンス音楽を演奏している。菅野組と観光に来た一ツ橋OBの通称プリンスと自分らの5人のテーブルがなく、うろうろしていても、店員は無視をしている。そこで、2人用のテーブルを寄せようと思い移動すると、すぐに走ってきて、ダメ出しをしてどこかへ行ってしまった…
(;´Д`)/“タノム!メシヲクダサヒー!
それを見ていたダンサーらしき人が4人用のテーブルに2人で座っていたので譲ってくれた。(感謝…だが最初は無視していた…)飯はスープを始め割と美味しかった!腹も満たされ、何とか明日への気合を入れようとした所、事件は起こった。
ん?なんだ?
くさいっ!?
そう水である。風呂にためている水は赤茶色をし、赤錆とドブのような匂いがする。当然飲めないし、うがいですら危ない。(口に含んだだけで吐き気を催す…)お店でも、食器を洗った後、思いっきり水を切って渡していたので、ロシア人もにおう水だと認識しているに違いない。
(嗚呼…日本ってすばらしい!)\(;o;)/
第4章
栄光の世界選手権出場
試合当日 会場までのバスは滞りなく到着したのだが、エントリーをするのにまたもや時間がかかった。ここでもまた購買部になだれ込む学生のようにごった返している。いや、バーゲン会場のご婦人方のようだった。(人は男前だらけだったが(笑))ロシアでは待たされることがあたりまえなのだと再認識した。しかし、ここでも問題発生!なんと、エントリーが1stカップルになっていたのであった。そのためおまえらは受け付けられないみたいなことを言われたのだが、さすがにそのことを予想していた我々は、JDSFがDSFRへ派遣選手が変更された旨の通知をしたメールのコピーを用意しており、何とか事無きを得た。しかし、やはりというか、通行用のIDカードは1st選手の名前、パンフには5th選手の名前で登録されており、更にIDSF(世界アマチュアダンス連盟)の運営するHPには1st選手の名前で載っていた。
居なかった事になっている
ではないかっ!(そんなあ!!(TOT))暗いイメージのあるロシアだったが、競技会場は大きい会場にもかかわらず、満員で、地元の選手やファイナリストが踊っていると、ものすごい声援と拍手で、とても盛り上がっていた。余談だが、選手控え室では、国によっては専任マッサージ師がいて、疲れを次のラウンドに響かせないためか時間が開いている間ずっと選手をマッサージしていた。うらやましいっ!!!(ポーランドの若手選手デレック君がマッサージしてもらおうとロシア専属のマッサージ師にアピールをしていたが、無視されていた。)(ケチー(笑))
入場行進のリハーサル時暇になったので、テーブル席を用意する給仕のお兄さんをナンパしたり(キドさん、やりすぎです!(笑)、子供たちが寄ってたかってサインを求めてきたり(中には自分の腕にかいてくれという子供もいた…そこに常盤さんはゴリゴリ書いていた!)、ビザの発券をしてくれた役員が私たちの側へ来て「I know Yasuo Yuji.He‘s
my friend.」(どうやら以前日本から来た選手のことを言っているらしい。)と非常に親しげに話し掛けてくれる役員が居たり、なごやかな場面もあった。(ちなみにこの人、次の日に観光をしてやるとか、送迎は大丈夫かとか、ビザは組織に対して発行したのだがちゃんと用意してくれたか?等色々心配してくれたのだが、次の日電話したら、タイミングが悪く
何もして頂く事が出来ませんでした…。
(まずは己で道を開けという訓示でしょう!)
ということでやっと試合の感想に移りたいと思うが
ながっ(^^;)
、やはりコンディションは最悪、7ヒートもあり緊張を保つだけで精一杯でした。また、精神的ダメージが大きい為か、パートナー木戸選手(木戸教グル(注)木戸教とは全日本アマチュアパートナーレディーファースト推進委員会教祖)の機嫌がすこぶる悪く、怒られっぱなしでヒート練習時間の初期段階から雲行きが怪しく、更に回りの気合に圧倒されつつあり、全く気合が乗らずフロア−から練習を傍観することにした。その状況をいち早く察し、気持ちのリラックスをさせてくれたのが、この時ジャッジできていた佐藤 隆雄さんのパートナーであるよしえさんであり、即効フォロー!自分ではやっとパートナーが落ち着いたと思っていたら、後日談で、高橋本人が
かなりテンパっていたらしい…(@@;)<ハアハア…
そんな状況で、試合が開始されたのだがどのヒートを見ても、自分らが経験してきた大会よりもレベルが高い!当然である。ほぼ全員が各国のチャンピオンなのだから…。デンマークでは、準決に残っていた選手でもリダンス(敗者復活戦)に引っかかるし(そういえば同じホテルだった…
そのせいかっ(??)
やっと見つけた、スペシャルでない選手はやはりアジアであった。しかも私たちもそのうちの一選手に過ぎなかった…。(T−T)
第5章
世界選手権観戦
速攻やられた我々は少しでも元を取ろうと(せこっ(^^;))ビデオを片手に観戦をしに行った。途中、かなりおなかがすいたので何か腹の足しになる物を求め売店に行った。しかし、そこでも事件が起こった!なんと、カードがつかえない!!少々のルーブルを所持していた菅野氏が代表でポップコーンを1個だけ購入。それをひもじく4人で
むさぼり食った
が、全く腹の足しにならない!それどころか更におなかが減ってしまった…(T−T)。さて、そんな中、ビデオを構えた。電源がつき、モニターを覗き込んだ。1cm四方ほどのところで小人がうろちょろしている。
ん?
あれっ?
あ、ないっ!!
そう、覗き口のアダプターを日本に忘れたのである。仕方なく撮れているかどうか半信半疑でパートナーと交代でファイナリスト達(モニター内ではかなり小人(笑))をビデオに収めた。目の前のケーブル群が邪魔でパスをしたときにかなり手ブレが生じてしまったが、何とか見れる程度の物はゲットした!本旅行で1番の成果物である!
競技会自体はとてもすばらしく、セミファイナルからはライトアップ・テレビ局(GAORA:日本でもスカパー等で放映されています。)が入っていたり、また、ファイナルの最初と最後にソロで各選手がお互いの魅力を最大限にしかも惜しげも無くアピールしており、生の迫力は違うなあとただひたすら感心しまくりであった。自分ではチャンピオンであるフランコ組の踊りがことさらに磨きがかかっており、コントロール感、スピードの緩急、曲の体での表現の仕方が他を圧倒していたように感じた。パートナーの木戸選手はほぼ終始うたた寝を決めており”かくんっ“とするたびに後ろの外人に笑われていた…(――#)<ちゃんと見とけよ…。2位になったリカルド組は非常に曲に乗っており、更にストロングさとエラスティックさの中にもエラボレートな踊りを見せており非常に観客受けが良かったように思える。余談だが、この男性、世界アマチュアラテンファイナリストの中で彼氏にしたい人No.1です!【画像準備中】試合終了後熱気が覚めやらぬ中、ちょくちょく日本で参戦しているリカルド組に挨拶に行くと菅野組の後に今まで寝ていたパートナーがちゃっかり握手をしていた。更に、一緒に来ていたプリンスがどさくさにまぎれて握手をしていた。(^^;)
第6章
幻のレセプション
宿に帰ると既に0:00を回っており、当然レストランは閉まっていた。通常こういった大会の後はレセプションといいジャッジや選手を迎えお疲れ様会にて立食パーティが組織主催で催される。だが、我々のホテルではそんな催しは無く、前日のバーも閉まっており、いよいよか?と思ったときにパートナーがこんなときのために用意していた電気式湯沸し器とチキンラーメン&インスタントおかゆを取り出した!ちょっと神に見えた!しかし、またもや事件は起こった。ミネラルウオーターをコップに移し、湯沸し器を装着!プラグをロシアのものに付け替え、コンセントに挿入!お湯を沸くのを今か今かと待っているが…コップの水は夜明け前の十和田湖のようにしーんと静まり返っている。5分待っても死ーんとしている。さすがにそこで壊れているのでは?ということになり、高橋は臨界点に達し、チキンラーメンの塊をぼりぼりと2個むさぼり食い、そして、フテ寝した…(おかーさーん(笑))
後日談だが、当初のホテルにジャッジとして宿泊していた佐藤さんから聞いたのだが、ファイナリストのみを招いて催されていたそうだった。(――#)<…
更に後日談だが、菅野氏が更に良い湯沸し器を持っており、自分以外の4人は暖かい食事にありつき、そして、そのときの会話で、
高橋ってこういうとき
結構弱いよね?
と、言われていたらしい。
ほっといてくれ!(`Д´)9≡3
いや、ほっとかれていた…(T−T)
第7章
いざ、観光へ
ここサンクトペテルブルクはヨーロッパで最も美しい都市のひとつとされ、古典様式の町並みは重々しく、北のヴェニスとも呼ばれるように、町中を水路が走りゴンドラが行きかう。エルミタージュ美術館はルーブル美術館にも匹敵する規模と内容を誇るのだ。
次の日路線バス等を乗り継ぎ、エルミタージュ美術館に向かった。ちなみにこのバス、10人ほどの乗合で、椅子がなくなると、乗客の誰かが「ニェート」と一言だけ言い放ちスライド式ドアーを”ドバムッ”と閉めるのだ!ツメテ−<(´`;)>
そして、ヨーロッパではどこでも思うのだが、アジア人は目立つ!実際、バスからなんとなく外を眺めていたらシンガポールの選手が歩いていたのが分かった。(^^;)
地下鉄はシェルターを兼ねているらしく相当地下深くに位置する。
ロシアでは切符ではなくコインを買う。そこで今旅初めて一橋大学でロシア語を4年間勉強していたらしい
↑乗り口へと通じるひたすら長いエスカレーターは異常に早い!
彼は菅野CPに、ロシア語を使えるというのでイギリスからお供をしていたのだが、卒業旅行であるインドから帰国後おなかを壊しぎりぎりで空港に到着したり、旅行かばんの鍵をなくし、数日菅野氏のジャージを借りて着たり
くさっ!(笑)
旅行資金不足のため、かなりお世話をした後輩です。しかし彼のお茶目な性格により、道中笑いが途切れることはなく(本人としては納得いっていない様であるが…)大変癒されました!なお、1・2日目に我々選手は団体から用意された部屋に泊まっていたのだがプリンスだけは安価な部屋を用意され(当然自腹)、そのとき1m四方のまるで日本のトイレのモップ洗い場の上部にカーテンを引いたようなシャワールームのある部屋だった為、そこをプリンス式シャワールームと命名!その旅での流行語大賞に選ばれました!(爆)余談ではあるが、3日目の部屋はやはりランクダウンしシャワールームは
プリンス式
だったことは言うまでも無い。(T−T)
↑地下鉄から降りるとかなり開けたところに出た!
地下鉄の駅からは路面電車で一直線に向かっていった。
遠くからもそれらしき建物が肉眼で確認できたので、近くの駅で降りることが出来た。
すばらしい建物の敷地内では、観光客向けの露店や、馬車がいた。早速美術館の中へ入ろうと列に加わり、中へ入るが、料金が外人向けだとかなり高い!さらに、荷物になりうるものは全て預けないと入れないということで、コート・バックは一時預かり所に全員預けて入った。
↑入り口にたどり着くまでにも広大な敷地が!?馬車や露店が出ておりかなりの賑わいを見せていた。
↑この巨大な美術館は、歴代の皇帝の宮殿である「冬宮」と、エカテリーナ2世の私的サロンであった
「小エルミタージュ」、「旧エルミタージュ」、「新エルミタージュ」そして冬運河を挟んで建てられた
「エルミタージュ劇場」の5つの建物よって構成される“美の宝庫”です。エルミタージュ美術館には400を超える展示室があり、
その300万点にも及ぶ所蔵作品は世界でも類を見ない規模です。
美術館は広々としており、数々の彫刻・絵画がそこかしこと置かれており、また、内装の天井の装飾にも感動していた。中でも歴代のプリンス達が壁一面に張られている場所では、やはり、プリンス式という言葉を使わずにいられなかった(笑)
外に出るとうまそうなピロシキの露店が出ており、皆でまたまたむさぼり食った!(こればっかや(^^;))肉入りの物がとてもうまかった!
路面電車である程度見つけていた、お土産屋にて、マトリョーシカ人形(マトリョーシカという人形はロシアの民芸品で、 人形のなかに、小さな人形がいくつも入っていて、 安産のお守りになるそうです。)等のお土産を見に行った。かなりきれいな店なのだが、やたら安い!土産用チョコレートが20円ぐらいだ(@@)。早速でかめのチョコの詰め合わせを買うと、290円ぐらいであった!その後、きれいめなレストランにて運河沿いにスパース・ナ・クラヴィー聖堂方面へ歩いていった。
露店市場に出た。そこでは値切り合戦が繰り広げられるのである。こちらは決して欲しいというそぶりを見せず、これ幾ら?と聞くと必ず店主はふっかけてくるので、1/4ほどの値段で応戦する。そうすると3/4以上下げられないと言ってくるので、1/2〜3/5程の値段でこれ以上であれば要らないと言うのだ。そうすると、しぶしぶだが、売ってくれる。だが恐らく、それでもチョコの例を見るとかなりの粗利であろう…。その露店で、ナイフつきのライターを購入!常盤氏はマトリョーシカ人形猫バージョンを買っていた。その帰り道、道端で怪しいロシア人が近づいてきて、「Are
↑グリボエードフ運河の脇に立つ教会。モスクワ赤の広場にあるワシーリー寺院を思わせる
色彩豊かなキューポラが特徴。アレクサンドル2世の暗殺された場所に建てられたのだという。
近年になって大規模な修復工事が行われ今ではすっかり復元されている。
近くにあったきれいめなレストランに入り、ビーフストロガノフを食した!マッシュポテトと良い相性で、量も多くかなり満足であった!
バス停でバス待ちをしているときに、常盤さんがファイナリストの中で彼氏にするとしたら誰がいい?とパートナーの木戸さんに聞くと、瞬時にリカルドという答えを返していた。フランコはダンスパートナーとしてはいいけどマスクがいまいちだし、3位のクラウスはマスクは良いけど気がきかなそうだし、5位のマウリッツオは踊りの顔が濃いし、6位のピーターはいい人だけど、顔がおじいちゃんだし、4位のユージンは人間魚雷だし…言いたい放題である。(@@;)
そこで俺から一言だけ読者を代表して言おう!
つきあえないから!
ほぼ、抱かれたい男のアンケート状態である。(^^;)
そんな話をしていると、帽子をかぶった男が常盤さんの真後ろに立っていた!そう、人間魚…ユージンだった!一同仰天&しどろもどろだった。(単に英語が出来ないだけ?(^^;))彼らは、友人の(洒落じゃないよ(^^;))マラット組と観光途中であったらしい。マラット組は世界アマチュア10ダンスのチャンピオンである。同日のアマチュアモダンでも準優勝しているがまだ20歳前後の好青年である。彼らとはデンマークのキャンプでも一緒で、おじいちゃんが苫小牧で王子製鉄に勤めていたこともあり、日本語が堪能である。お互いしばし突然の再会を喜び帰路に着いた。しかし、やはり帰りのバスも、
ニェート・ドバムッ(笑)であった
ホテルに帰ると、次の日の飛行場への足を確保する為に、先の役員に電話し、迎えがくるかを確認した。今までの遠征では送り迎えはほぼありで、カナダではリムジンでお出迎えだった。その回答がくるまで、菅野組・プリンスと5人でお疲れ様会を例のバーで開いた。カウンターで菅野氏がラム&コークを頼んでいたので、ラム&トニックを頼むと、はあ?トニックはやっぱジンでしょう!みたいな事を言われ、押し切られてジントニックを飲むことになった。
がんばれ!たかはし(^^;)>
更に前日好評だったスープやら肉関係やらを頼んで、何とか腹が満たされほろ酔い気分で。
再び役員に電話すると、やはりニェートだった。(^^;)<ココマデキタラモウオドロカネェヨ…次の日の出発は4時頃だったので、タクシーを手配し床に着いた。別便だったので、次の日会わなければちゃんと帰れたということでという挨拶をし、菅野組・プリンスとしばしのお別れだった。翌日は早く着きすぎて、夜明け前の空港の入り口のベンチで凍えながら飛行機を待っていたのであった…
第8章
編集後記
今回の遠征では通常では考えられない貴重な体験をしたことが最大の山場であったが、等の本人としては、常にぎりぎりの精神状態になり道中結構つまらないことでも半笑いになってしまったほどであった。まさにトランス状態である。また、10年ほど日本代表で世界選手権に出場してきた菅野氏曰く
「もっとも過酷なダンス旅行であった」
と、言わしめた程の旅程だった。初めて派遣された代表戦が、こんなにも実りの多い物になるとは、小生の日頃の行い以外の何者でもないだろう!(どっちの意味で?(^^;))
話は変わるが、世界選手権とは微妙に別体系で運営されている、去年から始まったグランドスラムという大会では、全世界で6試合を行いそのうちの良い点数5試合の合計で12カップルがモナコに招待されるという。2004年の1試合目はなんと日本である。(3月7日)そう、世界ファイナリスト達と再び相まみえるのである!(本当にこんな極東に来るのか?ロシア等の選手はビザ等の発行が大変であろう…)大会では引けを取らぬよう、今から熱い思いで練習に励んでいる。また、プライベートとの両立を理解してくださっている、職場の皆様に多大なる感謝の意をこの場を借りて深く表明させて頂きます。そして、我々をここまで成長させてくださいました、理科大の先輩方、OB・OG方、そして、阿部先生、近藤先生、岡崎先生、嶺岸先生、坂本先生、桑原先生、原田さん、岡元さん、湯地さん、加藤さん、前田さん、久保さん、更に、ライバルとして切磋琢磨している選手仲間達、更に更に今回の遠征で面倒を見てくださいました、菅野組・佐藤さん・よしえさん・(プリンス)に多大なる感謝の意を表し、遠征記を締めたいと思う。ここまで読んで下さった、あなたはかなり物好きです(爆)(^^;)>また、ここまでお付き合いくださいまして、
ありがとうございました。m(_ _)m