〜式根島釣行記+式根島奮闘記完全ノーカット版〜

      今回は釣りの事をからめた、ラテンダンサー達で繰り広げた式根島での3日間をご報告致したいと思います。できるだけ忠実に執筆致したいと思いますが、いろいろ不適切な表現、または、失礼な表現があるとは思いますがご容赦ください。では本編に…

      第1章:東京湾ナイトクルージング

      8月7日昼過ぎに治面地から1本の電話が入った。「今日の買い出し手伝おうか?」

      前の日に十条(富士学院)で湯地さんに高橋の買い出しを手伝ってやってくれと言われ電話をしてきたらしい。僕は船の上で飲む酒を買ってくる事になっていたのであった。

      その数最低で36本、50本ぐらい頼むとメールでサクサク頼まれた僕は少しその量がどれくらいか想像が付かなかったのだが、いざ買ってみると島での荷物も有るので3人(木戸選手含む)で結構いっぱいいっぱいだった。しかしその甲斐あってか岡元さんはかなりのご機嫌で「船の上でこの景色を見ながら飲むのも悪くない」みたいな事を言っていた。そうです、船の上から見た東京湾は絶景で、お台場の観覧車や、レインボーブリッジの下をくぐったりとか、ベイブリッジを眺めたり、色々なネオンや海からの風を体全体で受け、ビールを飲みみんなで色々な面白い話して、帰る時間も気にしなくていいので、みな開放感にひたっていた。この時、さえこさんがパーティの帰りだったので髪上げのままで、上はTシャツ下は短パンで、Tシャツに短パンが隠れていたのでとてもセクシーだった。また、東海汽船の船に乗る前から、久保さんの戦争と霊の話について岡元さんとともに聞き入っていた。久保さんは戦争の歴史に興味があるようで、トイレでよく熟読しているようだ。また、色々な体験談や人から聞いた事を話してくれてとても興味深かった。虫の知らせというものが有るようで、昔、戦争に行っていた人が撃たれた時、その人の実家の仏壇の奥から銃弾の音が聞こえ、位牌が転げ落ちた事があったそうだ。僕はその時、撃たれた人の想いが野を越え山を越え海を越えて家に帰ってきたのだと思った。超能力のようなエネルギーが発生したのであろうか?とにかく久保さんの話はアウトローの所がかなり面白い。ふと気付くと船の一番後ろのテーブル席で一人の男が携帯を片手に何やら怪しげに、そして一心不乱にその機体をいぢくり回していた。僕は直子さんの命令でその男の後ろで踊る事になってしまった。一体何の罰ゲームなんだー?その男の後ろでリップルアクションやら両手を挙げたりして一通り終えて帰ってくると違うチームの人たちもやりだして小さなブームになってしまった。彼は気付いてしまったらしくいつのまにか消えていた。太平洋に出てしばらくすると、みんなトイレに行くといったきり帰ってこなくなってしまった。みな疲れて寝てしまったようである。だが、治面地は寝ているのだが、手が肩の所に来ていてホールドアップしている。夢で武?に目からビームを出されているのであろうか。また、菅野さんに聞いた所、直子さんの寝息がかなり”きてる”らしい。しかも朝方にピークを迎えるそうだ。船の探索を少しした後2等客室で雑魚寝をした。

      第2章:上陸

      朝方6時頃大島についたらしく船内放送で起こされた。8時頃新島でも起こされた。

      新島では何度もしつっこく船内放送が繰り返されていたのでかなりみなむかついていたようであった。子供もうるさく泣いていたりした。少し寝不足気味のボーッとした頭のまま10時頃目的地の式根島に着いた。天気は気持ちいいくらいに晴れわたっていた。

      赤い風船で用意してもらった宿の人が迎えにきていたので、さっそく湯地さんが話し掛けると、そんな話はまったく聞いていないといわれてしまった。ついてそうそうルンペンになってしまった。湯地さんはその時鼻水が出ていたかどうかは定かでないが、とりあえず他の宿を手配してもらって、何とか宿無しは免れた。その時湯地さんがとれた宿から原チャで迎えに来たのだが、現地人そのものとみなに思われてしまい、現地の人がやたらなれなれしく話し掛けてきたと思ったらしい。湯地さんには余談が有るのだが、シンガポールで会場に向かう途中、現地のビラ配りの人が唯一ビラを手渡していた。また、もう一つあって、菅野さんと久保さんは、パックのツアーでビンタン島に行く時にツアーコンダクターの人に「シンガポールに知り合いが居るのですね」といわれ、よくよく考えたら湯地さんだったそうだ。

      第3章:いざ出陣!

      何はともあれ、宿で着替えて海に向かうと途中で雨が降ってきた。通り雨だろうという事でさほど気にせず釣り餌と酒を買い込んでいると、かなりのどしゃ降りになってきた。岡元さんと海岸へ偵察に行くと見渡す限りの雲で、さっきのお日様はどこへ行ったのやら、まったくやむ様子はなかった。

      どしゃ降り

      仕方なく雨宿りがてらラーメンを食べることになり、出てくるのを待っているといきなりカンカンに晴れだした。まさに、日頃の行いなのだろう。出鼻をくじかれまくって砂浜に出陣をした。みな疲れか寝不足か分からないが、オイルを塗って横になりだした。直子さんや菅野さんがこんがり焼けていてその上からSPF0のサンオイルを塗りたくっていた。そこでも菅野さんはヤングサンデーを熱心に熟読していた。その横で、木戸はSPF112の日焼け止めを塗りたくり、鈴木園子の様な顔をしていた。背中を塗らされたのは言うまでもない。風向きが海風だった為に海には無数のワカメやら昆布が浮いていた。それを見て和音さんがうわー入りたくねーと言っていた。なぜかその時治面地が「高橋、水中眼鏡無い?」と入る気マンマンのせりふ。ちょうど2個持っていたので貸してあげて、入る事にした。わりと遠浅で海面には相変わらずのワカメと浮遊物があり、水中にも岩や海草がいっぱい生えていた。その間を沢山の魚立ちが泳いでいた。よく見かけるのが、ベラ、青や黄色の熱帯魚、ボラなどである。少し沖に行くと水温も下がり、海草も少なくなる。僕らが水からあがると、かわりに菅野さんが立ち上がった。ブーメランパンツを装着し、体は小麦色を越えブロンズに光り輝き今にも得意のバタフライをかましかねない勢いだった。しかし、そばにあった浮き輪とシュノーケルセットを装着するや否や、ものすごいばた足で沖に旅立っていった。湯地さんが天然のワカメを採ってきて「これ食べられるよ」と差し出すと和音さんが「おやじやめてよ!」と猛反抗すると、すぐに首筋にワカメ攻撃が炸裂した!湯地さんがその後ボコられそうになっていた。久保さん達も海に入っていき何やら沖の方でおぼれそうな、かなりあせっていた様子だったので後で聞くと、シュノーケリングで潜っていた時に直子さんが海面に出ている空気穴を押えたり、湯地さんが海草爆弾を入れていたらしい。もし、久保さんが若い時だったら2人とも魚のえさになっていた事だろう。一通り海に入った後いよいよ釣りをしに防波堤に行った。そこでも木戸は真っ白になってでかいタイヤの影で寝ていた。岡元さんCPはオイルでテカテカになりながら炎天下の中寝ていた。菅野さん、湯地さん、武井、ジメ、僕はけっこう飽きずに釣りをしていて、他の人たちはかわるがわる釣りを堪能していた。ここでの釣り方はオキアミ(小さいエビ)を撒いてあつまってきた魚を食わせのオキアミやサビキ(疑似餌)で釣ると言うもので仕掛けも簡単なものだった。底の方で釣れるのはベラや迷路のような模様をした気持ち悪い魚で、上の方にはものすごい小さいいわしの群れが集まってきていて、中層にカワハギやタカベといった中型の魚が集まっていた。どうやら、今の時期ムロアジやカンパチ、メジナといった釣って喜ばれる魚は寄っていないようだ。ジメが寝ながら釣っていた時に大波が押し寄せ、思いっきりかぶっていた。もっと大きかったらさらわれていたかもしれない。武井は釣りの時に足の甲だけ日焼け止めを塗り忘れていたらしく、足の甲が真っ赤になっていた。あまり大きい魚が釣れず、雑魚がかなり寄ってきたのでアユの転がし釣りの仕掛けで何匹か引っかけていると、岡元さんがものすごい興味をそそられたようで「おれにやらせろ!」と引っかけ釣りを楽しんでいた。しかし、湯地さんにそんな釣りは邪道だと戒められ、すぐにもとの釣り方に戻し、気持ちも萎えたのかまたテカテカになっていた。僕が餌をつけていると寝ていた和音さんがむくっと起き上がり、「どう?」と聞かれたので「いまいちっすね」と答えながら振り向くと、ビキニの上がはだけていてすぐに目をそらしたのだがバッチリ”ピー”を目撃した!ジメの方でもパラリとやっていて久保さんは何やっているんだと思っていたらしいのだが、ジメは見ていなかったらしい。その時武井が優しくタオルを掛けたのでその場は収まった。しかし、その時は、見えたとは言えず、後で宿に帰った時久保さんに直接「本当に申し訳ないのですが、見ました」と素直に言ったらあっけらかんと「ぜんぜんOK!」といわれほっとした。帰りの船の上で和音さんに「見ちゃったんだって?おやじにも菅野にも見せた事無いのに、初めてで見せてしまった。」と言っていた…。

      釣り

      第4章:夜は長いぜ!

      みな、昼間の日焼けと釣りと遊泳ではしゃぎすぎたのだろうか?それとも昨晩船であまり眠れなかったのか、疲れてはいるようなのだがなぜかテンションが高い。それもそのはず、みな、普段はダンス漬けの日々を送っている。僕もかなりダンスに割く時間が多い。いつ頃からだろうか…。そのため、こういう遊びとなると、めいっぱい遊んで遊びだめをするのだ。しかも、新鮮なことが多いから、遊び飽きることはないのだ。 さて、部屋に戻ると、自然にって言うか勝手に部屋割りがされて、武井&木戸部屋、直子さん由梨香さん早絵子さん部屋、菅野さん岡元さん治面地部屋、久保さん湯地さん高橋部屋に別れた。すぐに風呂に入って、食事になった。その間高橋部屋はクーラーを最大にしたままであった。食事は、いかにも民宿で出そうなイカのリング揚げや、タカベの塩焼き、キャベツの千切りやら、貧相なお惣菜だった。昼間に釣れたタカベの刺し身も食べて、何とかおなかいっぱいになった。久保さんは魚がまずかったらしく、白米に醤油を掛けて食べていた。部屋に戻るといい具合に冷蔵庫になっていて、快適な食後の一休みを取った。 しばらくして、夜釣り&花火に行こうという事になり早速仕掛けを作って夜の堤防に向かった。空は満天の星空で、今にも空に吸い込まれそうだった。堤防には何人かの釣り人が居り、みんな釣れていなさそうだった。何回かルアーを投げていると興味を示した岡元さんが俺にやらせろ!と、竿を取り上げられてしまった。どらえも〜ん。(;;) 仕方なく、花火に取り掛かった。様々な打ち上げ花火や、手持ち花火をが、その一瞬の輝きのために自分の身を燃やしてはかなく散っていく様がなんともいえず悲しいしげだった。勿論僕たちも自分の身を削り、大金をはたいて競技会で輝くために日々精進している。(輝ければ良いのだが。しけててそのまま捨てられないようにしないと。。。)また、明日にはもう帰らなくてはいけないのと、陸地を遠く離れた孤島であると言う事実は、更におセンチになる感情を増幅した。そんな気分の中、僕を呼ぶ声がする。岡元さんだ!どらえも〜ん。(心の叫び)見ると竿がかなりしなっている。びっくりして竿を持たせてもらうと、ものすごい大物がかかっている。そう、EARTHだ。いわば僕も釣られている。小渕も、広末も釣られているのだ。かなりガッカリしました。帰り道の酒屋でビールとつまみをしこたま買い込み、武井部屋で飲み会が始まった。武井氏の足の甲は昼間の釣りの時にそこだけ日焼け止めを塗っておらず、真っ赤に膨れ上がっていた。そう、おいしく焼けたローストビーフのように。彼女は足を氷水の入ったクーラーに入れながら飲んでいた。そして、怪談が始まったのである。次々に話される世にも奇妙な物語。以前ラテン人達で行った海の民宿での話しや、トンネルではドアを閉めてくれと言われたことや、水子地蔵の変な動きの話しが終わり、みんなの緊張感が高まったその時だった。軽い気持ちで直子さんの背中をたたきながら「ポグォー」という奇妙な声で驚かしてみた。すると、まるで楳図かずおばりの劇画調な目とパソのような顔で睨まれた。僕もびっくりしてしまった。その時の顔は今でも忘れられません。

      第5章:GOOD BYE SHIKINE ISLAND

      翌日もいい天気だった。帰り支度を済ませ。船着き場で船の到着を待つ。みんなの顔にはとても楽しいたびだったという満足感のある表情が浮かんでいた。しばらくすると、僕はあることに気付いた。海パン忘れた!まあいいやとあきらめていると、土産でもらった手ぬぐいの電話番号に気付いた。さっそく電話したら届けてくれた。うーん、飯はまずかったが、いい人達だ! 船に乗って、だらだら飲んだり、昼寝をしているとすぐに竹芝まで着いてしまった。帰りはなんて早いんだろう。夕食を取ろうということになって久保さん岡元さんは肉が食いたいと言い出した。すると、近くのしゃぶしゃぶ食い放題の店がチラシを配っていたので全員で押しかけたそして完璧元が取れたんじゃあないかというぐらい食らいまくった。身も心も満足したまま帰宅の徒についた。。。

      第6章:旅を終えて

      はじめ、誘われた時は、こんな若輩者が皆さんの中に混ざって迷惑を掛けてしまわないだろうかという気持ちでいっぱいだったが、皆さんの明るさと、のりの良さにいつのまにか旧来の友人のようにくつろいでしまった。今でも、菅野さんの浮き輪姿、直子さんの何人か分からない肌の色、久保さんの戦争時代の知識、和音さんのピー、岡元さんのジャイアンぶりと油ののりの良さ、早絵子さんの髪上げとセクシーなショートパンツ、湯地さんの中学時代からの海パンと釣りのテクニック?由利香さんの寝顔、じめのはっちゃけ具合、武井君のビールをのみまくる姿そしてすぐ寝る死体具合、木戸はいたっけ?あ、うそうそ、などが目をつぶるとすぐそこにあるように思い出される。旅は人を成長させる。また、この人達と行きたいと思った有意義な2日間だった。皆さん、ありがとうございました。

      波止場